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国際連盟脱退と松岡洋右

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1932年、全権大使松岡洋右は満州事変の責任を問う国際連盟の席上、日本の立場を滔々と訴えた。それは「十字架上の日本」とでもいうべきもので、「欧米諸国は20世紀の日本を十字架上に磔刑に処しようとしているが、イエスが後世においてようやく理解された如く、日本の正当性は必ず後に明らかになるだろう」という内容の演説だった。これに対して各国の大使の多くが喝采をおくったものの、その翌年に採択された最終決議は、日本の意にかなうものではなかった。これを受けた松岡洋右は国際連盟からの脱退を宣言、「サヨナラ」の言葉を残して議場を後にしたといわれる。

国連議場を退席する松岡洋右
国連議場を退席する松岡洋右

【国際連盟脱退の動画】 『大東亜戦史 レマン湖畔の弔鐘(国際連盟脱退) 第2面』 昭和恐慌から軍部独裁へと突き進む中、時代のおおきな転換点となったこの国際連盟脱退を日本側の立場を主張するために当時のマスコミが制作した映像資料。

松岡洋右の碑
『山口県光市むろづみ観光ガイド』 by むろづみ観光ガイド
松岡洋右の故郷である山口県光市室積には松岡洋右の碑がある。

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  1. 強面のイメージがある松岡ですが、案外お茶目なところもあったんですね。これはスターリンと手を組んでごきげんの松岡洋右。さすがのスターリンも若干引いているような…(笑)

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